空(くう)、ゼロポイントエネルギー

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空(くう)と呼ばれるものは、どういう状態であるかを、観念でなく実感を持って理解すること

の皆様、こんにちは。

 

 

前回の記事で、「ゼロポイントエネルギー」なるものに、触れました。

 

 

 

私はこの言葉を知ったのは、割と最近です。

 

といいますか、スピリチュアルな発信で、この言葉を使っているのを見かけたのが最近です。

それまでは、「科学用語の一つ」程度の認識で、目に触れてもさほど興味を抱かずにいました。

 

それで少しググってみたのですが──どうも「空(くう)」のことを言っているのでは? と思えてきました。

 

 

 

そこでゼロポイントについて考察する前に、まず、「空」というものについて、さっくりとですが説明することから始めたいと思います。

 

 

 

 

さて、ではこの、「空(くう)」とは何であるか、ですが・・

 

 

「関連ブログ」の方でも、折りに触れてこの境地に言及しています。スピリチュアルの中でもことに重要であり、霊性開発を語るうえでも外せないテーマだからです。

 

ですが目下のところ、「これで読者の皆様が理解してくれた」という、波動的な手応えを覚えたことは、残念ながらありません。ある程度のスピリチュアリストでも、なかなかピンと来ないのかもしれません。

 

 

 

ネット上でググってみますと、結構多くのヒットがあります。

 

「世の一切全ては空である」ということで、「一切皆空」「色即是空で検索すると、分かりやすい説明が出てまいります。

 

 

ただし、その「分かりやすさ」は、説明するご本人が、自分の考えを分かりやすく伝えている、という意味でのことで、本当の意味での「空」の説明とはなっていないようです。

 

 

 

「空」を真の意味で理解しないまま、観念論に落とし込んで説明する人は極めておびただしく存在します。

読んでいて、何を言わんとしているのか分からないような説明も多くありますし、精神論のように考える人もいるようです。宗教上の世界観と捉えている人もいるでしょう。

 

 

 

 

もしかしたら、「空」という言葉に出会うに当たって、「一切皆空」「色即是空」といった、ある種、宗教的な観念論に触れることが多く、それが意識の中で先行してしまうのかもしれません。

それというのも、恐らくですが、本来なら現実を科学的に記述する宇宙観であったものが、いつの時点からか宗教観念上の世界観のように解釈されていったのかもしれません。

 

 

 

 

当サイトでは、あなたをアセンションに導くための実践的な指導を提供することを主眼としています。なので、本記事で説明したいのは、私たちスピリチュアリストが、到達したい境地としての「空」なのですが──、その意味で、宇宙観としての「一切皆空」の「空」と、ここで説明したい「空」とは若干視点が違うかもしれません。

 

 

 

ただ、 宇宙観としての「空」を理解するにあたっても、一定以上の経験知なく理解できるかと言われれば、困難だと言わざるを得ません。 なぜなら宇宙観としての「空」と、到達フェーズとしての「空」は、本質的には同じことを理解することだからです。そして「空」に至った人が人類史上ごく稀であるため、実感を伴った、経験知での理解が難しい、という事情もあるかもしれません。

 

 

 

 

すなわち空とは、本来であれば観念的な世界観ではなく、もっと明確で具体的なものです。さりとて容易に到達できる境地でもありません。

 

境地というよりは、「状態」と言ったほうがいいのかもですが。「空」とはつまり、そういう波動状態、エネルギー状態のことを指しています。

 

 

   

 

 

 

◆地球人類史上、その境地にいたった人は極めて僅か

 

 

 

  

「世界平和の祈り」の提唱者五井先生という方で、霊覚者であり、「空」に至った人でもあります。(この方については「関連ブログ」の方で、折に触れて書いていますので、ここでは特に詳述はしません。)彼は「地球人類史上、空に至った人がどれだけいるものか・・」(ほとんどいないのではというニュアンスで)といった意味のことを語っています。

これはご自分の境地をことさらにひけらかしているのではなく、この物質世界で、空という状態に至ることが、どれほど困難で稀有なことであるかと言っているわけです。

 

 

 

空の状態とは、一言で言うなら、「その人がその人以外の何者でもない状態」ということになります。「神我一体」と言い換えてもよさそうですね。

 

それに至ってない状態では(つまり一般の大半の人がそうですが)、人はある種の「カオス」状態にあります。

 

人間というのは、そもそも波動でできているのですが、一般的な人は、ネガティブで低い周波数から高い周波数まで、雑多な波動の集合体です。(どんな周波数を持っているか、それぞれの周波数がどれだけ強いかは、人によって違います。)

 

 

 

空とはつまり、それらの中で、ことにネガティブに属する低い波動がなくなり、その人の本質である純潔なる波動のみになった状態です。もう少し言いますと、その純潔なる波動が、その人の最も高い波動に集約されている状態です。

 

 

ちなみに「最も高い」というのがどのくらい高いかは、人によって違いますので、それに応じて「空」にも段階があります。

ただ、「空」について段階のことまで言及すると混乱するでしょうから、ここではただ「空」ということにして進めてまいります。

 

 

 

 

繰り返すようですが、これはいわゆる精神論ではありません。もちろん精神状態もその要素ではありますが、それも含めて波動状態です。「悟りの境地」ということも言えますが、ここでいう「悟り」とは、そういう波動状態に至っていることも含まれています。というのも、そういう波動状態に至らなければ、そもそも悟ることができないからです。

 

 

 

一見、何もない状態とも言えますが、無いのはカオスだけで、すべてのすべてがある状態とも言えます。

 

 

 

この説明だけでは分かりにくいと思いますので、実際に「空」の人はどのようであるか、中でも最も端的な点について、エピソードをまじえて説明してみましょう。

 

 

 

 

 

◆ 「空っぽ」でありながら「光で充満」している

 

 

 

 

五井先生の評判が知れ渡るようになってきた頃、それを妬んだある霊能者が、怨念を送ってくるという「攻撃」をしてきたことがあるそうです。

念力か何かで彼を攻撃したのですね。これには大抵の人は参ってしまうので、同じように参ってしまうと思ったのでしょう。

 

 

ところが五井先生には効かず、逆に、その怨念だか念力攻撃をしてきた霊能者の方が参ってしまったのだそう。

これは、その怨念が、当の攻撃者に、まんま跳ね返ってしまったからだ、と五井先生は説明しています。

 

 

 

五井先生はのちに、世界中の業想念(ネガティブ想念、闇波動ともいう)をその身に引き寄せ浄化する、という、「引き受け」の難業に入っていくのですが、この当時はまだそこまではしてなかったのでしょう。

 

言い換えるなら、「引き受け」をしない限り、「空」の状態では、いかなるネガティブな波動とも共振しないため、それを寄越した人の元に、そのまま戻ってしまうのです。

 

(ちなみにですが、もしも「引き受け」をし、浄化させてしまったとしたらどうだったかといいますと──。恐らく攻撃者は、参ってはしまわないものの、力を吸い取られるような無力感を覚え、やればやるほど、五井先生に手も足も出なくなっていったでしょう。)

 

 

 

 

五井先生の言葉によると「空っぽだからね」とのことです。相手の怨念が相手に跳ね返ってしまうのは、ご自分が「空っぽだから」だというのです。

この「空っぽ」というのが、つまり「空」のことです。

 

 

とはいえ、本当に何も無いという意味合いでの「空っぽ」だったら──つまり「空(くう)」が「空(から)」だったら、相手の攻撃を跳ね返すなんてことはできません。

だってそうでしょう? 空(から)の器には色々入って来てしまいますからね。でも跳ね返してしまう。なぜでしょう。

 

 

 

 

それは、実際には何も無いどころか、光で充満しているからです。つまり空とは、おそらく一般のスピリチュアリストが想像しているよりも、遥かにみずみずしく、輝かしい光に満ちた境地なのです。

 

 

 

 

 

◆なぜなら「スッカスカ」の「スースー」だから

 

 

 

 

ここで注目していただきたいのは、この際に、五井先生ご自身は、その悪意ある霊能者に対し、念力で対抗しているわけではない、ということです。

 

 

 

よくアニメとかSF映画に出てくるような対決ですと、念力には念力で対抗して、どっちが強いか、ということになりますが、そういうものではありません。

 

 

そうではなくて、念力攻撃をしてくる、その念力は、闇波動なのです。ネガティブな波動と言い換えてもいいでしょう。

大抵の場合、やられた方が参ってしまうのは、無理やり波動を引き下げられてしまうからです。

 

それというのも、僅かでも自分の中に、その闇波動と共振してしまうネガティブな想念波動が潜んでいると、それを拡大され、引き下げられてしまうのです。

 

引き下げられるとは、波動が汚染されるということです。イメージとしては、真っ黒な泥を投げつけられて、ベトベトになった状態にされてしまう感じです。

 

 

 

 

僅かでも自分の中に共振してしまうものがあれば、と書きましたが、「僅かでもそんなものがない人」は、ほとんどいません。何しろ、地球の波動環境はとても低く、常にその中に浴しているのですから。仮に波動の高いスターシードであっても、ここにいる限り、一定以上に汚染されているのが普通です。

 

 

 

 

そんな過酷な環境で、「僅かでもそんなものがない」というのが、「空」の状態なのです。

 

 

それを五井先生は、「空っぽ」と言っていたのです。つまり、ここで言う空っぽというのは、たんに何もないというだけの空っぽではないのです。

 

 

 

 

ではどんな状態かというと、この物質世界の低い波動環境にいながら、それに汚染されない状態ということです。

それは、「いかなるネガティブな波動とも共振しない」ことによって実現します。

 

 

しかし、目下、物質地球には、ネガティブ想念が渦巻いています。

そんな環境下で汚染されないということは、簡単に行きつけるものではない境地ということがおわかりでしょうか。

 

 

 

でも「絶対に誰にもできない、無理」なんてことはありません。そこで終わっては、観念論に終始している人と、さほど変わりませんしね。

 

空に至った人が、なぜそれを実現できるのか、もう少し見ていきましょう。

 

 

 

 

なぜ汚染されないかというと、それは、「スッカスカ」で、「スースー」だからです。

 

 

なんだそれ? とお思いでしょうが・・上位次元の波動域と、常に交流している「純潔なる場」となっている状態なのです。

 

 

 

 

 

◆流れがあることで清らかでありつづける器

 

 

 

 

たとえば、水を思い浮かべて下さい。

現状の物質地球のような汚染された波動環境で、その汚染に侵されないということは、言ってみれば「泥水の中で常に清い水でいる」ということです。

 

 

そんな状態に、どうしたらなれるでしょうか?

 

 

水が常に清らかなところというのは、どんなところか考えてみてください。

 

そう、常に流れているところですね。清水が湧き出しているところや、清らかな河川も、流れが停滞しているところはありません。水道でも、朝最初に使うときはしばらく流しましょう、なんて言いますね。停滞していると雑菌が繁殖したり、汚れるからです。

 

 

 

空の境地にある人も、これと同じなのです。一見すると普通の肉体人間ですが、泉や清流のように、綺麗な光の源から、光が常に流れ込んでいるのです。停滞していないのです。

 

 つまり「スッカスカ」の「スースー」なのです。光で充満し、しかも停滞せず、常に供給されている「場」(「器」とも言います)なのです。

 

 

 

この状態に至った人は、肉眼では全く普通の人と区別できませんが、肉体の方は、ほとんど透明な幻のようなものとなっていて、実体である「光の場」が、この物質世界においても顕現しています。

 

 

五井先生の言う「空っぽ」というのはそういうことであって、本当に何もないわけではありません。

 

 

 

 

 

◆「空」を具体的な状態としてイメージし、実感を持って理解してゆく

 

 

 

 

ということで、今回は、「空」の定義と、それに至るための実際について、さっくり解説いたしました。

 

 

 

このように、「空」に至るとは、単なる気の持ちようとか、意識を少し高めた程度の状態ではありません。

 

 

 

しかし、絶対に不可能、というわけではありません。

「空」には段階があると申しましたように、そもそも、一足飛びに五井先生レベルに到達しようと背伸びしたり、逆に不可能だとやさぐれたりする必要もありません。

 

 

 

まずは、「空」というものを、「観念的に分かった気分でいる」状態を卒業し、「実感を持って理解してゆく」ことが大事だと思います。

 

 

この、「実感を伴った理解」が、そのまま、真の悟りの道へとつながっていきます。

つまり、観念的な理解を卒業した悟りの道とは、あなた自身が、現実に「空」という状態になっていく道でもあります。

 

 

 

といって、一夜で悟りを得ようなどと、気負う必要はありません。

仮に究極的な状態に至らなくても、その過程であっても、その道を進んでいるという動的な状態であるだけで、そうでない人とはまるで違ってきます。

 

よりアセンションをスムーズにし、霊性開発を順調にしてゆく道とも言えます。

 

 

 

 

その前提として、今回のまとめも兼ねて付記してみますと

 

 

「空」であるからには、以下の条件は満たしている必要があります。

 

一つは、「何物にも侵されないこと」

もう一つは、「常に高度な波動域と共振していること」

 

です。

 

 

それを実現するために、もう少し具体的に言い換えるなら、

 

「汚染された水(=ネガティブな波動)が入り込まないようにする」

「常に清らかな水(=高度な光の波動)の供給を受けている」

 

ことが必要です。

 

 

 

これだけでも、少しイメージができてきた方がおられるのではないかと思います。

 

 

 

 

「空」は非常に極まった状態ですし、長い修行が必要ですが、人里はなれた高い山にこもるだけが修行ではありません。

そもそも魂の来歴はさまざまで、物質世界上の立場で一概にはかることはできません。あなたがこれをじっくり読んで、理解し、その気になっておられるなら、あなたはすでに、ここに至るまでに、前世を含め、相当な経験を積んでおられるかもしれません。

 

 

 

ということも踏まえて、「空」というものを理解し、少しずつでも究めていかれるといいと思います。また次回以降、もう少し踏み込んで見ていきたいと思います。

 

  

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