スピリチュアルにおけるつまづき

このページをチップで応援

 

スピリチュアルつまり霊性開発の過程で、ありがちな「つまづき」について

の皆様こんにちは。

 

このところ、メインにしているブログの更新に忙しくて、こちらの方がお留守になっておりました。

 

メインのブログというのは、私が2012年から続けているブログのことで、このサイトではメニューの「関連ブログ」から行けます。

 

目下、世界の波動の様相が目まぐるしく変化していて、それに呼応する形でのタイムリーな記事も多く、どうしてもそちらの更新を優先してしまいます。

 

 

ただ、長年続けてきたブログなだけに、記事量もかなり膨大になっています。そんな中から、アセンションの基礎的なことから始まって、記事の各所にあるレジュメを読み取るのが、段々大変になってきているだろう・・という思いから、こちらのブログを始めたのです。

 

このサイトに挙げている「三大ツール」の解説も、元ブログの方にも同様の解説があるのですが、過去記事から探し出すのは大変だと思います。そこで元ブログで折々にしてきた説明からレジュメを拾い出し、さらに解説を補足するなどして整理したものです。

 

 

こちらのブログでは、今まではおおむねオリジナルの記事を書いてきましたが、元々は、元ブログの記事の中から、大事なところを拾い出し、必要があれば加筆して記事にしようと思って始めたものです。恐らく、元ブログの読者の方も、忘れてしまったり、見過ごしてしまったような話もあるでしょう。

 

これからはそんな形の記事も増やすことで、こちらのブログも更新していこうと思います。

 

 

  

今回は、スピリチュアルの過程、つまり霊性開発において、つまづきやすい点についての考察です。

 

 

 

 

 

っくりした切り分けではあるのですが、スピリチュアルでつまづく点は、大別すると以下のものがあるようです。

 

 

霊感が強い人が、闇波動の傀儡や霊界の生物などを、神と錯覚する(連中にとって、神のごとき荘厳な姿を装うのは、簡単なことです)という「霊的なつまづき」がまずあります。私が日本人に多い印象を持っているつまづきです。

 

そして霊的ではあるとしても、もう少し踏み込んだレベルのつまづきが、意識重視の方々で、いわば「知的なつまづき」です。これは西洋の人に多いのかもしれません。

 

そして世界共通であるのが、「宗教的つまづき」です。宗教自体が悪いわけではないのですが、形骸的な教えに凝り固まってしまい、むしろ本質から遠ざかってしまうケースです。

 

 

 ちなみにこれらのタイプは、必ずしも明確に分かれているわけではなく、それぞれが少しずつ混じっている場合もあります。

 

 

 

 

 

つて私が最も危惧していたのは、詐欺とカルトです。ただ、悪意があるだけに、冷静になれば見透かすこともできます。もっと危惧すべきなのは、上述のような「つまづき」をしているケースかもしれません。当人自身に悪意がないので、危うさを見透かすのが難しいでしょう。

 

 

 宗教的・霊的なつまづきについては、「世界平和の祈り」の提唱者も警鐘を鳴らしていましたが、「知的なつまづき」というのも、かなり厄介なようです。

 

 

以前からそういう方が一定数いるのは認識していたのですが、最近、一定数というより、むしろそういう人の方が多いのではないかと思えてきました。今回は私が最近読んだ本で、最も危惧を感じたものについて書いてみます。

 

 

 

 

 

回取り上げたい方も、典型的な「意識重視」タイプです。出版年は今から少し前ですが、五井先生や渡辺大起氏よりはずっと最近です。スピリチュアル界ではかなり有名な方のようです。 

 

この方の著書を読むのは私には初めてですが、知的で洞察に富み、多くの支持者を集めているのもうなずけます。

 

 

しかし知的といえば、五井先生や渡辺大起氏(ご存知でない方は、元ブログ参照のこと)も、知性と洞察に富んだ方々です。

 

では同じではないか、と思いたいところですが・・、これが歴然と違うのです。

 

 

 

 

際、その方の本を読んでいて、私が真っ先に受けた印象は、「玉石混交」でした。非常に鋭い点と、幼い考えが同居しており、読めば読むほど波動が混乱しました。

 

 

例えば五井先生や渡辺氏の説明は、この世界の常識に照らせば‘ぶっ飛んで’ いますけど、反面、とても具体的でシンプルです。

 

観念的な人の説明は、一見、難解なのですが、実のところは、アセンションを標榜しながら「物質次元思考」なのです。これはこの方に限らず、意識重視の方々に、典型的に見られる傾向です。

 

 

 

アセンションを実際に推進している人というのは、話に共通性があります。そして具体的です。ですので、同じように知的で洞察に富んでいても、著された著書は、そうでない人とは本質的に別物となるのです。

 

 

 

 

 

の著者を含め、意識重視のスピリチュアルで最も危ういと思うのは、波動を上げることの重要性に対する認識が、完全に欠落していることです。

  

 

この著者の場合、アカシックリーダーであることや知能の高さが、カリスマとなって人々を惹きつけているのでしょうが、その、「人々を惹きつける」ことも問題と言えるかもしれません。果たしてこの方や、この方に惹かれる支持者の方々は、波動を無視してアセンション成し得るのでしょうか? それは私にはわかりません。

 

  

しかしこの、波動を上げるということ、それ自体は、そんなに困難なことではないのです。ひとたび気づきさえすれば、すぐに実行できるようなことですよね。

 

 

一番迷いなく易しいのが、「世界平和の祈り」でしょう。

 

 

波動の重要さとか、理屈は何も分からなくても、「世界平和の祈り」一本鎗で毎日祈っているほうが、はるかにアセンションに近いと言えます。何しろ祈ってるだけで勝手に波動が上がっていっちゃうんですからね。世界の平和にも貢献し、自分の浄化もでき、波動も上がっていく。

 

 

 

ところが、現代のスピリチュアリストの多くが、祈りとか神とかいう概念を軽視してるように思います。これは、昔から現在まで、「霊的・宗教的なつまづき」が、数多く見られるからかもしれませんし、現代人は「神に祈る」ことを、何となく気恥ずかしいように思っているという面もあるでしょう。

 

 

そこへ行くと、「意識重視」の人の指導は、知的なアプローチでアセンションを目指すのですから、現代人にとっては、より新しく、魅力的に映るのかもしれません。

 

せっかくアセンションに目覚めながら、易しい道を行かず、難解で困難な道を行っているように、私には思えてしまうのですが・・。困難でも目標にたどり着ければまだしもですが、それもどうなるか分かりませんし。

 

 

 

 

 

能とか観念だけで捉えるスピリチュアルは、思考の落とし穴に陥る危うさが常につきまといますが、憂慮すべきことに、そうしたスピリチュアルは、現状、かなり沢山あるのです。

 

 

私は以前は、霊界の生物に幻惑されたタイプだと思っていましたが、上述のように知的なタイプの人にまで見られるので、注意が必要です。

 

 

 

 ※アカシックレコードを読む人のことをアカシックリーダーと呼びます。アカシックレコードについては次回以降の記事で取り上げます。