精神世界と物質世界

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よく「精神世界」と呼ばれるスピリチュアル・・精神世界と物質世界・・それぞれ別の世界があるような言い方ですが・・

 

の皆様。

 

 

当サイトではこれをお読みの方をそうお呼びいたします。でなければ、今回二回目となるこの記事をお読みになる以前に、読むのをやめてしまってるでしょうから。

 

 

 

前回は、アセンションをする、しないという分岐点にあるこの局面で、アセンションってしなければいけないのか、しないとどうなるのかを中心にご説明させていただきました。

 

 

 

スピリチュアルは情報が錯綜していますし、分かったようで分からないとか、これって実際にどうなんだろう・・とかいったところから、説明していきたいと思っています。

 

 

 

 

そんな第二回の今回ですが・・そもそも、スピリチュアルって、自分の生活、もっと言えば人生とどう関係しているんだろう・・という点についてお話します。

 

 

 

「それよりアセンションしたらどうなるのかも知りたいんだけど・・」とお思いの方もいるでしょうが・・そちらはまたいずれ、もう少し先の回でお話したいと思います。

 

 

一つ言えるのは、もちろん集団的な魂もあるでしょうけど、それぞれ魂のルーツも目的も違うということです。ですので行き着く(または帰る)先も違う、という以前に、目的としてるところから違うということですね。なのでこうなりますという説明がちょっと難しいです。そういうことも含めて、もう少し基本的なことをご説明してから話題にした方がいいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピリチュアルな人とそうでない人とか、精神世界と物質世界、などという言い方をしますよね。興味のある人もいれば、ない人もいる。毛嫌いしてる人もいたりします。

 

 

この精神世界という言い方、私は以前は何だかピンと来なくて、正直、好きじゃありませんでした。スピリチュアルって言い方も違和感があったんですね。使ってるうちに慣れましたけど。

 

 

そもそも、私たちが現実と感じているこの物質世界の方が、実は精神世界であり、スピリチュアルということもできるのです。なので私が違和感を抱くのも、当たり前といえば当たり前なんですね。

 

 

 

このところ、科学の分野でも、実は我々の世界は我々がそう認識してるだけで、実際には幻影というか投影なのかもしれない、という仮説が、巨額の費用を投じて研究されてるそうです。(もっともスピリチュアリストの捉え方とは若干違うのですが・・・。でも最先端の科学で、世界は幻影だという理論を大真面目に研究してると聞くと、驚く人もいそうですね)

 

 

 

 

 

 

でもいきなりこんな切り出しかたをすると、頭がこんがらがると思いますので・・、

 

 

もう少し私たちの生活に密着したかたちで、スピリチュアルと物質世界とが、どう影響し合ってるかをお話してみます。

 

 

 

 

 

 

ピリチュアルとか、宗教もそうですが──宗教はスピリチュアルと特定の形式とか様式にしたもので、本質的には同じものですが──これにハマるタイプの人達がいますね。

 

スピリチュアルを毛嫌いする人がなぜ毛嫌いするかというと、この「ハマる」タイプの人が、常識からかけ離れたようなことを言ったりしたりする、それがスピリチュアルというイメージが強いのかもしれません。

 

 

 

 

でも実際に、そういう極端な人がいるんですね。場合によっては犯罪的な人達。詐欺とかテロとかですね。

 

 

でも、それら犯罪的な人達は、ご本人が本当にスピリチュアルを信じてるかどうかすら怪しいので、脇に置くことにしまして・・。

 

 

 

 

 

本人が、スピリチュアルにハマってしまっていて、本気で信じてるとしましょう。本気と言えば私ももちろん本気ですし、信じてるどころか、信じる信じないの話でもなくて、シンプルに事実として認識しています。

 

 

私の方が、「信じる」を通り越してしまって、疑念の余地など一片もないわけですから、全く信じていない人からすれば、極端な狂信者ということになるかもしれません。

 

 

それに比べますと、「ハマってる」人というのは、私ほどの強い信念はないのです。つまり初心者的な人なのです。

 

 

が──、一見すると、その言動や信じ方が極端なのです。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、「神に祈り、マントラをたゆみなく続けていれば、救われる」という教えを説かれたとします。

 

 

救われるのは事実ですが、極端にハマっている人や、初心者的な人ほど、宗教的な映画やファンタジードラマに出てくるような「奇跡」が、すぐにでも起きると思いがちです。これは、多分に願望も入っています。

 

 

たとえば医者にかからなくても病気が治るとか、自分は神に守られてるので災害にも遭わないとか犯罪にも巻き込まれないとか・・そんな類です。

 

 

 

 

 

 

る人の話ですが、──その人は、ハマるというような極端な人ではないのですが──心臓を患って、手術しなければならなかったそうです。彼女は日夜たゆみなく祈っていて、手術しなくても治るかもしれないという期待を抱いていたそうです。

 

 

 

その人だけでなく、スピリチュアルを信奉しているなら、医者や薬の世話になる必要はない、と思う人は、かなり沢山いるようです。

 

これは全くの妄想というわけでもありません。医者や薬なしで治ったという「奇跡」のエピソードが、ちょくちょく聞かれる分野ではあります。

 

 

 

 

 

でも実際にはそれは叶わなかったそうです。結局は手術しなければならなった、と話す彼女の顔には、心なしか失望も浮かんでいました。

 

 

しかし、私と普通におしゃべりできるくらいですから、手術は成功したようです。

 

 

 

 

 

 

さて、上述の、ハマっている人、言動が極端な人というのは、こういう場合でも、手術どころか医者にもかからないし、もっと極端になりますと、家族や知人など、他の人にまで、手術はもちろん薬も飲むな、医者になどかかるな、と強要します。

 

 

ですから、普通の人から見ると、スピリチュアルや宗教にハマっている人は、狂信的で、常識を欠いている、と映ります。

 

 

 

 

でも、本当言いますと、そういう極端な人は、信仰がそれほど深くないのです。むしろ浅いと言っていいでしょう。スピリチュアルを本当に深く信じている人は、病気になるならないで、信念を変えませんから・・。

 

 

 

 

それじゃあ、祈っていても、どれだけスピリチュアルでも、物質の世界で起きることとは関係ないのか、医者も薬も要らないというのは嘘っぱちか、というと、これがそうとも限らないのです。

 

 

 

要るとか要らないとか、起きる起きないというような、どっちか一方しかないのではなくて、私たちの波動や意識の段階に応じて、グラデーションになってるのです。

 

 

 

 

 

 

 

私たちは、アセンションの途中にいます。アセンションというのは、スピリチュアルが現実で、物質世界が虚構だった、という世界に帰る、あるいは行き着くことです。

 

 

途中なわけですから、まだ色々と完璧でないことがあるわけですね。

 

 

 

 

 

 

たゆみなく祈りやマントラなどのツールを続けて、波動が上がってきますと、段々、色々なことが軽く済むようになってくるのです。

 

 

この、段々というのがミソで、大病が突然治ったりとかいったことは、滅多に起きません。

 

 

滅多には起きませんが、絶対に起きないわけではありません。たまには起きます。(人によっては頻繁に起きる場合もあります)

 

 

 

 

 

でも殆どの人は、自分の波動の段階に応じて、徐々に、色々なこと──病気だけでなく、災害とか、経済的な困窮とか、身に降りかかる災難が、軽減していくようになります。

 

 

それはその人次第で、前世までの行いがどうだったかにもよるので、一概に、これだけ祈ってればこうなる、とは言えません。

 

 

たとえば前世で何かネガティブなこと(世俗的に言えば悪いこと)をしていると──しているとというか、何千、何万とある前世で、悪いことをしてない人などほぼいません──それは借金のようなものなので、清算しなくてはなりません。

 

 

 

あくまでその人の状態によるので、人によっては、何年もかかるし、人によっては、スムーズに行きます。(といっても実際には、全く何も無くスムーズに行く人の方が少ないです)

 

 

 

 

 

 

 

つまり、病気や災害など、あらゆる災難はなくなるはず、というのは、それ自体は本当なのです。(もちろん詐欺とか、いい加減なものではなく、真のスピリチュアルであるならの話です)

 

 

 

が、それがすぐにでもそうなると思う人は、自分が何千回、何万回も生まれ変わっていて、その人生の中で、沢山の借金が蓄積しているということを、忘れているのです。

 

 

 

 

 

 

 

れでも、祈っていない人に比べますと、カルマ(借金)の清算が急速になされ、着実に良い方に変わっていきます。

 

 

たとえば、病気でお医者に行くとしても、すごく良い先生に当たったとか、手術するにしても、上手く行きやすかったりするのです。

 

 

また、仮に悪いことが起きたとしても、ああ、これで借金が減ったな、良くなるんだな、と、めげずに祈り続けていますと、その悪いことをきっかけに、良い方向に転じることも多くなっていきます。

 

 

 

 

 

 

そんな風にして、奇跡というにはゆっくりなペースですけど、少しずつ、精神世界が現実になっていき、物質世界が幻想となって消えてゆくのです。