ガヤトリーの思い出

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ガヤトリーマントラと出会い、唱えるようになったこと

の皆様、こんにちは。

  

 

今回はガヤトリーマントラと出会い、唱えるようになった経緯について書いてみます。

 

 

 

私は若い頃、インドを何度か訪れました。当サイトでもご紹介しているサイババ師の元に参じるためです。

 

 

サイババ師は当時はまだ肉体を持って存命していて、世界中から彼の元に信奉者が集まっていました。

 

 

 

 

そのアシュラムでのことです。(アシュラムとは、この場合、僧院とか寺院のことです。)

 

 

 

同室になった女性と、自己紹介したあと、聞かれました。

 

 

女性「マントラは何唱えてる?」

 

 

私「唱えてないです」

 

 

女性「え? 何回インド来てるの?」

 

 

私「(今は何回目だったか忘れたが答える)」

 

 

女性「(あきれたように)そんなに何度も来ててマントラを知らない? ガヤトリーマントラも知らない?」

 

 

私はうなずいた。

 

 

実を言うと別の知人からもマントラを勧められたことがあったが、そもそも意味が分からない言葉を唱えてどれだけ実効性があるのものかという思いがあり、興味が湧かなかったのである。

 

 

 

女性「しょうがないなー。ガヤトリーマントラくらい覚えなさいよ。私が教えてあげる」

 

そう言うなり彼女は、ガヤトリーマントラを唱えだした。

 

 

 

するとどうだろう。彼女の唇から、マントラと共にキラキラと、虹色の光の粒子が、渦を巻きながら出て来るではないか!

 

まるでファンタジー映画のCG映像さながらだ。私は驚愕した。

 

 

 

気を感じるとか、波動を光として見ることは少し敏感な人ならあるだろうし、私も一再ならずあるが、これほどキラキラと色とりどりに、光が舞うのを見るのは初めてだった。

 

 

 

 

の後、一人になったとき、食事の前に唱えてみた。

 

どこからか虹色の光の粒子が飛んできて、食器の中でたわむれるように舞い踊った。

 

私は私自身が小躍りする思いでその光を見つめた。ガヤトリーの威力は、誰が唱えても共通なのだと認識した。

 

 

 

 

こうして私はガヤトリーマントラと出会ったのである。

 

 

 

 

 

思い返してみると、いつまでもマントラに興味を示さない私に、尊師が「もういい加減「ガヤトリーマントラ」を唱えよ」と指導してくれたのではないかという気がしている。

 

 

 

 

 

私は現実主義者なので、具体的に手に取れるものしか信じない。

 

ガヤトリーはその数少ない一つだと思う。