自己を拡大しよう

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人は、どんなに魂が成長しても、自分さえよければいいという思いは変わらなくてもいい。ただ、その「自分」が自分を超え、他者へと拡大してゆくのだ

の皆様、こんにちは。

 

 

「三大ツール」を実践しているあなたは、人類にとって至宝です。何しろ、いなかったら地球のアセンションは叶わないのですからね。

 

そんなあなたは、一見、普通の人で、光の人かどうかなんてわかりませんよね?

 

実際、私もそうですが、誰が見ても、普通の人間にしか見えないと思います。外見だけでなく、話しても分からないでしょう。

 

ただしサイババ師クラスの高位神霊なら、私たちがどんな働きをしているか分かります。

 

 

言い換えるなら、霊能者でもチャネラーでも分からないということです。

 

恐らく皆様も、分からない方が多いでしょう。何しろ、ご自分自身の光が見えている方も少数です。

 

 

 

だから、「あなたは光の人なのだ、立派な人なのだ」、と言われたって、なかなか実感は持てない方が大半でしょう。

 

 

単に自覚できないだけでなく、心の中も、そんなに変わってないように思えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

とえば、「世界平和の祈り」をするあなたは、人類の為に奉仕していると言えますね。

 

でも、どんなに祈っていても、人類の為なら、自分は死んでも、苦難に見舞われても、どうなっても構わない、なんて思わないでしょう?

 

「いや、思うよ。子供の為なら」「私だって。家族のためなら」という人もいるかもしれませんが、「他人の事までは無理・・・」と思うのが普通でしょう。

 

 

 

私が思うに、あなたが、この先、波動域を上げていっても、大半の方は「人類の為なら自分はどうなってもいい」なんて思えないだろうし、

 

他人がどうであろうと、気の毒とは思うけど、それ以上には思わないだろうし、

 

表面上の思考は、たぶん、ずっとそんな、善良な小市民のままかもしれません。

 

 

 

 

 

はあなたに「人類の為なら私はどうなってもいい」とか思うような、「立派な人」になってほしい、と思っているのではないのです。

 

私自身、そうなりたいわけでもありません。

 

「そんな人間になるな」と言ってるのではありません。そういう人間を目指したければそれもご自由です。

 

正直、「どっちでもいい」のです。

 

 

 

 

高貴なる光の人よ、私が皆様になってほしいのは、

 

あなたが自分と思うその「自分」を、拡大していくことです。

 

 

 

 

 

れは、「自利利他」の精神とはちょっと違うかもしれません。

 

悟りを開くと、自利利他、つまり他者の為に自分を使うみたいな境地になると思うでしょうし、そういう人もいるかもです。

 

考え方の問題なので、別にいいんですよ。どっちでも。

 

私の考える悟りとか、霊性の開発というのは、自己という「場」の拡大なのです。

 

私は昔も今も、自分さえよければいいのです。ただ、その、自分と感じる範囲を広げようとしてるだけなのです。

 

 

 

 

 

 

自分が拡大してゆくと、まずは、子供や親など血縁者を、自分と同じ、自分のように感じます。

 

次には配偶者や恋人を、自分のように感じます。

 

友人知人なども、自分のように感じます。

 

あるいは、まだ出会ったことのないネット上の相手も、自分のように感じます。

 

ある団体や、地域の人なども、自分のように感じます。

 

自国の人々のことを、自分のように感じます。

 

外国の人々のことを、自分のように感じます。

 

そしていつか、世界を、自分のように感じます。

 

 

 

 

 

なみに、ここで言ってるのは、わが子を可愛がるような気持ちとはちょっと違いますので注意が必要です。

 

「自分のように感じる」とは、相手が誰であれ、支配することではありません。必要以上に干渉することでもなければ、無闇に奉仕することでもありません。

 

支配はもちろん、干渉や奉仕も、度を越えると相手の人格や自由意思を侵害することにつながるので、「これは侵害になっていないか」と常に自分を振り返って気を配る必要があります。

 

 

 

つまり「自分のように感じる」というのは、相手の自由意思を軽んじることではありません。その反対です。相手を自分と同じくらい尊重することです。

 

 

 

 

 

霊性を開発し、波動を高めるほど、自分のことはどうでもよく、人のことばかり思うようになる、のではなく、

 

あなたが「自分」と感じる、そのアイデンティティが拡大してゆくので、あなたは人のことも大事になるのです。

 

 

  

 

 

よく、社会性が高い人が、自分から見たら嫌な人も、他の立場から見ればいい人だとか、客観的、相対的に見られますね。それは人を、自分目線だけでなく、さまざまな視点から見られるからです。そうした視野の広がりも、自己の広がりへの一つの表れと言えます。

 

自分にとって大切な人が快適であれば、まるで自分が快適であるかのように感じる、それも、自己の拡大の一つです。

 

そうやって自分と思える「場」を広げてゆくと、最終的には、世界人類が、全部「自分」だと思えるように、なりますよね?

 

ですから、 自分がよければいい=世界人類がよければいい となってゆきますね。

 

 

 

 

 

己犠牲精神で、人の為に自分を犠牲にする、というのも、素晴らしいとは思いますが・・・。

 

これも、本当にエゴを滅却し、神への回帰に向かう、という、霊的な境地の場合もありますが、

 

そうでなく、エゴの一部として、自分を痛めつける、というパターンもあります。

 

前者のパターンなら素晴らしいのですが、自分のエゴのために、あえて自己犠牲するのは、境地への到達とは、違います。

 

私は自分自身を含めた人々の観察を通して、自己犠牲によってエゴを滅却する、という前者のパターンは、十万人に一人も無理だと思っています。

 

 

 

 

たとえば「ナザレのイエス師」は、自ら十字架にかけられることによって、人々のカルマを一身に受けたと伝えられていますが、

 

それは自己犠牲によって悟りを得たのではなくて、そもそもが遥か高位の悟りを得ている人が、人々に道を指し示すべく行ったのだと思われます。

 

そもそもの魂のレベルが違うのですから、形だけ真似ようとしても、殆どの人は、それによって悟りを得るのはかなり困難なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

くの人にとって可能であり、自然なのは、自己の拡大です。

 

「三大ツール」によって波動を上げていくと、自然に自己が拡大していきます。つまり、器が大きくなります。

 

他人を押しのけて、自分の地位を拡大してゆくのとは違いますよ。そういう人は、むしろ器が小さいのです。

 

自己を拡大してゆくと、誰もが自己なので、人々の悦びがあなたの悦びになります。

 

人々の苦しみが自分の苦しみともなるので、相手を害することをしなくなります。

 

その一方で、相手のために支援するとしても、必要以上の干渉はしないのです。干渉されると、その人の魂の成長を妨げます。この線引きはとても難しいですが、波動を上げていくにつれ、自然に分かるようになるようです。

 

 

そういう道筋によって、自己という器を拡大してゆくことは、自分を痛めつけずに、アセンションを成し遂げてゆく道です。

 

 

 

 

そういうわけで、私は、皆様に、自分を良くしてほしい、そして、その「自分」をどんどん拡大してほしい、と思っているのです。